我花集(わかしゅう)~謳花 アキタのドライフラワー雑記~ vol.3:季節の変化を眺めていたら、多様性が見えてきた?の巻

【前書き】

みなさん、こんにちは。

謳花の秋田です。

残暑厳しい9月。

今年は秋を飛ばしてこのまま冬に突入してしまうのではないかと不安になるくらい、真夏日日数の過去最多記録を更新し続けた暑い夏でした。

夏から秋、そこから冬にかけての彩りのグラデーションが年々減少してしまうのはとても残念(むしろ、危惧すべきこと)だなと思いつつ…

庭や生け込みを眺めながら散歩をしている際に面白い植物の光景を見つけました。

 今回はその光景の変化を時間軸に沿って見ていくことで考えたことを書いてみました。

長文となりますが…最後まで読んで頂けたら幸いです。

では、本編をどうぞ。

 


【7月16日】

アトリエ近くを散策中、近くの団地の生け垣をふと見やると1本だけ背の高い植物がいました。

すっと伸びた茎に、口を開けたような独特なフォルム。

おそらくタカサゴユリです。

このような姿のユリは、種類は違いますが「ユリの花殻」(花材)として、ポピュラーなので見慣れてはいましたが、風景に溶け込むように立ち枯れしている姿を久しぶりにマジマジと見つめてしまいました。

タカサゴユリについて…

タカサゴユリ自体は観賞用として1924年頃に台湾から入ってきた外来種。

繁殖力が高く、日本で野生化したため、日本原産の在来種のユリの生息が脅かされている…とのこと。

たしかに、たまに道路脇にポツンと咲いているユリを見かけることがありますが、おそらく同種のユリか、その交配種でしょう。

 

さて、この姿は花殻というよりは、「果実が弾けて乾燥した」姿です。

なので、種を飛ばし終わった後ということです。

(細長い果実の中に種が1000近く入っていたらしい…それはたしかに、繁殖力も高そうだ…)

色は少し黄色みがかっているので乾燥したばかりでしょうか。野生だからかよくみるユリの花殻よりも色がマダラで色抜けしています。

生け垣はきれいに整備されている中に1本だけ残っているところを見ると、整備した方が咲いた状態を見て、切らずに残したのだと思います。

 

【8月5日】

半月ほど経った頃に見に行くと…

まだ居ました。今日は何か巻き付いています。

 

これは…ヘクソカズラでしょうか。茎に巻き付きながら小さな花が咲いています。

ヘクソカズラ自体もドライフラワー花材としては出回っていますが、青々とした姿ではなく、花が咲き終わった実付きのツタものとして売られています。

細いですが、かなり丈夫なツルなので、実つきのまま輪にしてリースに活用することもできる花材です。

こちらも市街地のフェンスや生け垣などに絡みついて立ち枯れしている姿をたまに見かけますが、立ち止まって眺めるようなことは今までありませんでしたので、なんだか新鮮でした。

 

【8月15日】

脇から茎が伸び、花が咲いています。やはり、タカサゴユリでした。

さすがの繁殖力です。短期間で一本のユリから花が咲いたのかは定かではありませんが、生け込みから徐々に伸びたようで成長力も高いようです。

本体(?)の花殻は前回よりも色味がグレーに変色しています。

とても繊細な色味になっていくのが特徴です。雨風に負けずにずっと立ち続けている様は貫禄さえ感じます。

【8月30日】

脇の花が果実になっており、ヘクソカズラも実をつけています。

ほんの数週間ですが、様々な変化があったようで、ここからまた年々、増えていくと来年、再来年には生け込みがユリでうめつくされる…かもしれない。

かなりの繁殖力のようなので、これは大問題です。

だから、「早々に駆除しなければならない。」

 

 

(※急ですが、ここからは個人的な考察です)

 

……とはならないのでは。

 

今回、立ち枯れした1本のユリを見つけて、興味本位で調べた結果、外来種だとわかりました。目に留まらなければ知る由もなく、単純に立ち枯れした姿が「キレイだな」と思ったというだけの話です。

外来種だとわかったから、すべて駆除する。と果たして端的に結果を出して良いことだろうかと疑問に思いました。

 

外来種自体を日本に持ち込んだのは紛れもなく「人」であり、野生化させたのも「人」。

結果、在来種と隔たりを設けて差別するのも「人」です。

種が交わって新種ができることや、日本で個体数が増えていくこと自体が危険視されることではなく、それに伴って引き起こされる問題に目を向けるべきなのではないでしょうか。

日本固有の在来種が存在できなくなり、種がレッドリストに載ること自体は避けるべきことで、種を守るのは必要なことです。

害を成すことが発見されるのであれば、その対処はもちろん必要です。

しかし、そのためには、ユリの日本固有種がどこにどう生息しているのかを理解するべきで、どういった環境であれば適切に種の保存と、その管理ができるのか。

を考えずに、外来種だからという理由だけで排除することに傾聴するのは危険な思想なのではないかと思います。

少なくとも、日本固有種のユリがどこに生息しており、その種の保存環境がどのようになっているかを、今回を機に調べてみるまでは私自身も知りませんでした。

人の都合のみで種の存続の良し悪しを判断するのではなく、平等に見ることで共生する道を模索することが「多様性」の意味するところではないでしょうか。

話が飛躍してしまいますが、里山保全についても同じではないかと思います。

人が開拓し、結果、放棄した荒れ地が増えれば、当然、管理体制が不明瞭なまま荒れ地となり、野生の動植物が入り込み、そこには新しい環境が成り立っていく。

これが問題なのではなく、それをきっかけに、近隣の人里まで野生の動植物が下りてくることで、農作物等に害獣被害が出て、その対策に躍起になり、根本的な解決に繋がらないこと自体が問題です。

新しく入り込んでくるものや、テリトリー外のものを排除する方向につい目がいきがちですが、本質はどんな生き物にも居場所があって、その居場所を見定めて、テリトリーを侵害し合わないよう適切にゾーニング(※ここでは生物の棲み分けの意味として使います)することが大切で、それにより、はじめて共存し合って、環境保全が成り立つのだと思います。

これは在来種・外来種の問題でも同様で、俯瞰して見たときに、外来種が日本に生息できぬよう根絶やしにすることが解決策なのではなく、外来種の立ち位置を確立させても良い環境を成り立たせることに重きをおくべきではないでしょうか。

 

里山保全に関連して、ユリについて調査しているとき、こんなお話を耳にしました。

とある地域では、希少なヤマユリの生息域であり、民間で発足した保存会がヤマユリ保存のために活動をしていたはずでしたが、会員の高齢化と人員の不足から保存会は年々規模を縮小。

会の存続が危ぶまれる中、外来種のタカサゴユリを観賞用にと里山に植え込むといった、活動を始めてしまったとのこと。

会員は地域の方々にユリを観覧できる場を作ることに気を取られた結果、当初の目的を見失った方向に進んでしまったらしく、このような事例で種が混在してしまうケースもあるようです。

保存会自体が舵取りを間違えたのは事実ですが、地域をあげた活動とヤマユリの種の保存の必要性とが合わさって議論されてしまったことで話が複雑になっていますが、生物環境のゾーニングさえしっかりと押さえてさえいれば、問題ではなかったのではないかと思います。

 

繁殖力が高く見ごたえのあるタカサゴユリ、生息域は限られている希少なヤマユリ、それぞれの長所を活かした環境下で、上下関係のない視野の広さをもちあわせていることで、その先に複雑な問題をはらんだ外来種の危惧するところを解決する糸口があり、人と自然の在り方の本質があるはずです。

 

ユリもヘクソカズラも、カラカラに乾いて立ち枯れした姿には在来種や外来種の隔たりはなく、ただそこに自然の風景があり、それをみて私たちは「あぁ、寒い季節がやってくるんだな」と、しみじみ季節を感じることができる。

 

生け込みを整備していた方も1本のタカサゴユリを見つけて、一旦、手を止めて、その姿を眺めて季節感を感じたのかもしれません。

また来年、ユリが咲き、ヘクソカズラの花の時期が終わり、新しいユリの花殻を支持体に長く伸ばしたツルの先に実がついて、それが弾けて少し遠くに種を落とす。

生物どうしが寄り添い、繰り返していくサイクルを奪わずに見守るためには、身近な環境を知り、適切に向き合う事が必要だと改めて感じました。

 

それでは今回はここまで。

次回の投稿でまたお会いしましょう。

 

ありがとうございました。

 

謳花/装花士 アキタ